明日は何者かになろうとするあすなろたち
こんばんは。
ロペスです。
今日は書店でたまたま出会った本の紹介。
読み進める内に「これは紹介しよう!!」となったので、この場を借りて紹介します。
(海がめサーフくんにはちょっと休んでもらいます。)
自分がこの作品をおすすめしたいポイントは三つ。
・登場人物達の姿を見て「ちょっと頑張ってみるのもいいかな」と思える。
・ていねいな進み方で、まろやかな読書タイムを過ごせる。
・物語との距離感が心地いい。
この三点です。
それぞれどういうことなのか。
これから順番に紹介していきます。
檜になろうとする「あすなろ」たち
「明日は何者かになろうとするあすなろたち」
この文は、文豪井上靖の『あすなろ物語』にある文章の一部です。
そもそも「あすなろ」とは何でしょうか。
漢字では「翌檜」と書きます。
木の名前ですね。
写真がこちら。
木の形状について特に言及するつもりはありません。
伝えたいのは「翌檜」の語源です。
この木、どのような木なのかというと
「明日は檜(ひのき)になろうとする木」
なのだそうです。
著書の中ではこう語られています。
「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。でも、永久に檜にはなれないんだって! それであすなろうと言うのよ」
このような意味を込めて
・「檜になろうとするが、結局檜になれなかった者達」
・「檜となっていった者達」
・「そもそも檜になろうとすら思っていない者達」
が描かれているのがこの作品。
以前の記事では「何者でもない自分自身を認めることも大事」と書きました。
しかし、「自分以上の何者かになりたい」という気持ちが沸き起こってくるのを禁じ得ないこともあります。
自分は上の一文を読んだ時、胸からこみ上げてくるものをを感じました。
誰だって、いつだって、「あすなろ」になり得るわけです。
「俺だって一流の人間に・・・!!」
「いつかは一角の人物になってやる」
というような、青臭い理想を持ちながら生きていく作中の若者たち。
彼らのように、檜になろうとしている「あすなろ」に会うと、触発されて自分もちょっと頑張ってみようかなという気にもなります。
そしてそれは決して押し付けがましいメッセージではなく、彼らの生き方に触れて自然と湧き上がってくるものでした。
ていねいに紡がれる物語
古い文豪の作品でよく感じることなんですが、本当に物語の進み方がていねい。
セリフが多く、一文が短いテンポの良い昨今の作品と違い、じっくりじっくり進みます。
最近の作品が、物語を「走らせている」とするなら、それに対して物語を「流している」感じがします。
無理がない。
ゆとりがある。
読み進めている中での疾走感や、読後の爽快感という点では劣っているかもしれませんが、物語に「ついていく」感覚はありません。
物語を味わえる、余裕のある進み方をします。
そこに自分は「ていねい」さを感じました。
物語との適度な距離感
感覚的な話なのですが、読者との距離感がいい。
視点の問題でしょうか。
一人称で書かれているものではないので、少し距離があるんですね。
だから「登場人物になったつもり」で読むのではなく、他人の人生に並走している感じ。
上記で登場人物に「会う」と表現したのもそのため。
この距離感が実に心地いい。
読後に一気に現実に引き戻されたというような感覚がありません。
ちょっと違う世界を覗いた、知らない人の人生に触れた、そんな読後感を与えてくれます。
これは好みの問題なのですが、自分としてはがっつり共感してヘトヘトになるよりは、物語に「そっと触れる」ことができる作品が好きなので、ここをポイントとして紹介しました。
「あすなろ」な登場人物たちに出会い、ていねいな物語に触れ、適度な距離感でまろやかな読書タイムを楽しみたい方は、是非手にとってみてください。
おわり