自分は自分
お久しぶりです。
ロペスです。
最近久しぶりに自己啓発書を読みました。
仕事でいろいろあって、自分でモチベーションを上げるのに限界が来てたんです。
読んでみると、さすが書店で平積みされている人気書。
すごくパワーを貰えました。
この手の本は、まるで自分が自分でない偉大な何者かになれるかのような、大きな自信を与えてくれます。
しかしちょっと待てよ、と。
「じゃあなんでここ最近自己啓発書を読んでなかったんだろう?」
そんな疑問が頭をよぎりました。
そしてその時気づいたことがあったんです。
今回はその「気づき」について書いていきます。
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自己啓発書をよく読んでいたのは大学時代。
当時いわゆる「意識高い系」と呼ばれるカテゴリに所属していた自分は
「日本の教育を変える!!」
「平成の世に名前を残す!!」
と大きな理想に燃え、そのために努力を続けていました。
自分が所属している界隈は、学生団体という「意識高い系」の有志の集団。
当時学生団体は最盛期を迎えており、若い理想に燃える学生達の受け皿になっていました。
学生団体は「意識高い系」の自分にとってとても心地よいもので、「頑張っている自分」「理想を掲げて進んでいる自分」を肯定してくれる人たちがたくさんいます。
ただ、同時に「意識が低い」と見なされた人たちにはとても厳しい、排他的な態度で接していました。
そんな中で育った自分が社会に出て1年目。
当然壁にぶつかります。
今まで関西の田舎でちやほやされ、「頑張っている自分」「理想を掲げている自分」に酔い、「東京で一旗揚げてやる」と意気込んで飛び込んだ魔都、東京。
就職活動でうまく上場企業に入ることができ、有頂天になっていた自分を迎えたのは全国から集まった優秀な新卒。
まあうまくいかないですよ。
プライドだけ高く、実力はあまりついていなかった自分を認められず、ホンモノの「意識の高い」人たちと過ごす毎日。
出来ない自分を認められず、「こんなはずではない」「自分はもっとできるはずだ。いや、出来なければならないんだ。」と日々自分を責め続けました。
結果その自責に耐えられなくなり、会社を辞めて逃げるように関西に帰り、大きな爆弾を抱えてしまいました。
そして、ついに自分を認められなくなり、崖っぷちに立たされます。(実際はそう思い込んでただけでしたが)
しかし、最後の最後で周りの友人や家族が手を差し伸べてくれました。
「どうなっても、ロペスはロペスだから」と。
この時の感謝の気持ちは今でも忘れません。
助けてくれた友人たちは、自分が「意識高い系」だったころに厳しく当たっていた人ばかりでした。
そんな酷い対応をしていたのにも関わらず、自分に手を差し伸べてくれたこと、本当に感謝しています。
そこで気付いたことが、「自分はどうあがいても自分なんだ」ということ。
「何者かになれる自分」ではなく、「自分は自分でしかない」ということ。
自分は自分。
それ以上でも以下でもない。
このことに気付いてから、とても楽になりました。
本当の意味で「自分」というものを受け入れることができるようになったと思います。
それ以来自己啓発書にはできるだけ触れないようにしてきました。
自分にとって劇薬だったのです。
その事を忘れていました。
自己啓発系の書物やセミナーは、「自分は自分以上の人間になれる」という、とても魅力的なメッセージをくれます。
しかし、その「理想の自分」という過大な自己像とのギャップに悩んで潰れるくらいなら、自分を認めて自分を生ききるという選択をしてもいいのではないでしょうか。
大事なことを忘れていたので、思い出す意味を込めてここで書いておきたいなと思った次第です。
おわり