ロペペディア

日々の雑感

不信と規律

もう・・・二ヶ月もブログ更新してなかった・・・!!

お久しぶりです。

ロペスです。

 

最近は特に何か主張したいことがあるわけでなく、SNSやブログなどで意見を主張する機会もかなり減ってきました。

その分日常生活で言いたいことを言えているのかなと思うと、それはそれでいいのかなと。

 

しかし、今日後輩と飲む中で得た気づきが自分の中でとても大きく、また衝撃的だったので、それを記事にしておきたいと思い、久しぶりに更新します。

 

お題は「規律」について。

 

 

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まず本題に入る前に、自分と後輩の間で「自由の相互承認」という価値観の前提があるんですが、それを先に説明しないとこの先の話がピンとこないと思うので、簡単に説明します。

 

「自由の相互承認」というのは、熊本大学の教授で教育哲学者の苫野一徳先生の著書にあった言葉です。

厳密に言うと、歴史を遡ってヘーゲルやルソーなどから出てきているんですが、そこまでいくとそれだけでかなりコアな部分になってくるので、さらっといきます(笑)

(詳しく知りたい方は『教育の力』『公教育をイチから考えよう』などの先生の著書を読んでみて下さい。)

 

 

 

みなさん「自由になりたい!」と感じたことありませんか?

「生きたいように生きたい」

「やりたいようにやりたい」

そんな感情、誰しも持っていますよね。

人間は必ず「自由になりたい」という欲望を持っている。

こんなふうに考えたのがヘーゲルという人です。

 

ただ、お互いがお互いの自由を守ろうとすると、または押し通そうとすると、必ず争いが起こります。

自由のために、人間は長い間争いの歴史を積み重ねてきました。

ヘーゲルは度重なる戦争の中、どうすれば争いを無くせるのかを考え、一つの答えを出しました。

 

 

「みんなが自由になりたいということを、みんながお互いに認め合うしかない。その上で自由に生きていくことと、共存していくこととを調整していくほかない。」

 

 

 

これが「自由の相互承認」という考え方です。

 

 

それぞれが自由に生きられること。

そしてそれだけでなく、他者の自由を尊重し認められること。

この「自由の相互承認」の考え方を、学校教育の目的だとして主張したのが苫野一徳先生です。

 

 「学校は、すべての子どもたちに『自由の相互承認』の感度を育むことを土台に、この社会で『自由』に生きられる力を育むためにある」

 

教育の目的の根本はここにあると、苫野先生は言います。

 

 

さて、話はここから。

「自由の相互承認」をクラスで実現するためにどうするか。

そのことについて後輩と議論をしていました。

 

自分の主張は

 

「やはり規律だろう。クラス全体で共通了解をとった規律を設定し、それぞれが守っていく方法がベストだ。」

 

というものです。

ただ自由を認め合いましょうねで認め合えるわけがないし、明確に「これはあり」「これはだめ」という基準を設け、自分の中の基準とのズレを修正しながら感度を高めていく。

そういった方法が一番いいと、自分は思っていました。

 

しかし後輩はさらっと一言。

 

 

「え、でもロペスさんと僕との間に規律とかつくってないですよね。それでもお互いの自由を尊重できてますよね。」

 

 

それは・・・まあそうでしょうけど!!

でも確かに後輩の言うとおり。

別に「俺達の間でありとなしの基準を明確化して規律を設定しようぜ!」なんて話はしてないし、そんな話が出てこようもんなら「どうしたの?病んでんのお前?」って感じになる。

 

 

「なんかそこって、明確に規律とか作らなくても、関係の中であれは嫌これは嫌でお互い思い合ってたら済む話なんじゃないですか。」

 

 

ずどーん!!

自分の中で価値観が大きく変わった瞬間でした。

まあ普通に考えれば確かにそうなんですけど、何というか、仕組みとしてつくっておかないと安心できないというところが自分にはあって、常に「そんなうまくいくわけがない」というフィルターがかかってしまいます。

 

そもそもあれは嫌これは嫌って主張が通るかどうかもわからない。

それなら規律をつくって、それを頼りに正当性を訴えられるようにした方が健全だ。

誰しもが善人じゃない。

思い合えるなんて容易にできるものか。

荒れていた現場での経験が、常に最悪のパターンを想定して考える習慣をつくっていました。

 

その時、多分自分は人をそこまで信用できていないんだなと気付かされました。

相手を心から信用していれば、規律で縛る必要もないですしね。

何か信じられるものを、明確なものを求めてしまうのはそこなんでしょう。

不信が規律を生む!!(笑)

これは自覚していなかったので、大きな衝撃でした。

 

この気付きがあったからといって「私明日から人を信じます!!人類皆兄弟☆」みたいな脳内お花畑人間でもないので、最悪を想定した考え方から中々抜け出せないとは思うんですが、少なくとも自覚できたことは良かったのかなと。

 

そういう気づきでした!

久しぶりに長文書いたからしんどい・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

無着成恭の生活綴方教育

こんにちは。
ロペスです。

今回は無着成恭の生活綴方教育について。

 

まずは簡単に人物紹介と生活綴方教育との出会いまで。

 

○生活綴方教育との出会い

生まれは昭和2年。
山形のお寺で無着成恭は生まれます。
その後1945年に山形師範学校数学科で学び、戦争の経験を経て「これからの日本はどうなるのか」という不安を感じ社会科へ移籍。

 

1948年、21歳になった無着は山形師範学校を卒業し、山形の山元村立山元中学校で教鞭をとります。
当時、無着は『社会科学習指導要領』に感銘をうけ、社会科のような経験に基づく問題解決学習こそが教育活動の中心だと感じていました。
そこで生活の中から子どもが感じる疑問や純粋な気づきなどを題材に授業を行うようになります。


しかし、実践をする中で社会科の理念と現場がかけ離れているという実態を目の当たりにします。
無着の務める山元村立山元中学校は貧しい農民が多い地域で、学校も十分な設備が整っていませんでした。
そこで無着は次第に「ほんものの教育をしたい」と思うようになります。
こうした経緯で、無着は生活綴方教育と出会います。

 

 

では具体的に生活綴方教育というのはどういうものかという説明です。

 

○生活綴方教育

百科時点マイペディアの内容を引用すると

 

「児童・青年、さらには成人に自分の生活に取材したまとまった文章を書かせることによって、文章表現能力または表現家庭に直接現れてくる知識、技術、徳目、権利意識、意欲、広くはものの味方、考え方、感じ方を指導しようとする教育方法」

 

とあります。
この内容で行くと、文章表現のスキルや知識理解に焦点が向かいがちですが、前項にも書いたとおり、無着の根底にあるのは問題可決学習の理念です。
ですので、どちらかというと自分の生活を綴り、そのなかの切実な課題を生きた教材として、身の回りの課題に向き合っていこうとするとする態度を養おうとしていたようです。
その様子は彼の著書でもある『山びこ学校』に記されています。

 
ここでその実践例の一つを簡単に紹介しましょう。

 

山元村立山元中学校で教鞭をとっていたとき、一人の生徒が

 

「近所の人から、教育を受けた農民は百姓に嫌気が差して村を出ていく。教育は百姓潰しだ、という話を聞いた。百姓はやっぱり田んぼで泥にまみれている方がいいのだ。」

 

という趣旨の作文を書きます。
無着はこれを教材とし、子どもたちは

 

「そういう納得の仕方でいいのか」

「教育を受けるとなぜ百姓が嫌になるのか」

「百姓の生活は運命のようなもので、こういう状態から変わらないのだろうか」

 

という問に取り組んでいきます。

 

「教育を受けると百姓がなぜ嫌になるのか」

という問についてみると、その答えとして

「百姓は儲からないから」

という答えが出てきます。


そこから答えを出すことで終わるのではなく、次にこの答えの検証が始まります。
その過程で百姓の収支から数学を学ぶことができ、社会科にとどまらない教科横断的な学びができるようになっていくのです。

 

これはあくまで例の一つで、同著には数多くの実践例が載っています。

ご興味のある方はぜひ。

 

○所感
まず思ったことは今の現場でやると

「絶対保護者が黙ってないだろう」

ということ。

例えば環境問題でゴミの分別についてやるとします。

「うちの家は分別してませんでした!」って児童の話を教材化して

「どうすれば分別は広まるか」

なんて問いを立てて取り組みます。

これは保護者からしたら

「うちの家のゴミのことについて、先生は学校で槍玉に挙げて批判されてらっしゃるみたいですね」

という話になる。

 

では問題の起こらないような教材選びをするとします。

「世界の環境破壊をどう食い止めるか」

みたいな無難で生活から離れた学びになるでしょう。

子どもは実感がわかないからとりあえず良い子の正解の答えを出す。

こうなるともう全く意図からかけ離れた教育になりますよね。

 

地域や家庭との連携無しに行えない、高度な教育であると、そう感じました。

 

おわり

教育

こんにちは。
ロペスです。

 

今まで職場を気にして、自分と親しい教育の話題は極力避けて記事を書いてきたのですが、この度それに耐えられず(笑)またちょこちょこ書いていこうと思います。
ただ、あくまで自分の職場と関係の無い範囲で!を徹底していきます。

まずは「ゆとり」について。
この「ゆとり」はゆとり教育のことについてではなく、純粋な意味での「ゆとり」です。

今の子ども達や大人を見て思うことは、本当にゆとりがないと思います。

 

時間的な意味でのゆとりで言えば、子どもは塾や習い事でいっぱいいっぱいの過密スケジュール、大人は仕事仕事で長時間労働
時間にゆとりがなければ、こころのゆとりも失いかねません。
もちろん追われていることで燃える人もいるでしょうけど。
そういう価値観だけの社会で、本当に「人」として大丈夫なのかと思うときが多々あります。

「人」に過度な期待をしすぎて、あれもこれも出来るようにさせようと、教育界隈は四苦八苦しています。
しかしそれは本当に可能なのでしょうか。
これからくるであろうシンギュラリティ(機械が人を超える時)に向けて、機械に勝る人材を育てようとしていますが、それは可能なのでしょうか。
というより、それは人として大丈夫なことなのでしょうか。

 

自分はそこまで「人」に過剰に求めすぎないほうがいいのではないのかと思っています。
所詮人は人でそれ以上でも以下でもない。
ごく稀にいる優秀で有能な人材をみて、その成功パターンを他の人に当てはめて、同じような能力を持つように育てようとしている人がいますが、それはどうなのでしょうか。
その人なりに幸せであればいいのではないかと思っています。

 

ただ、それに対して社会が維持できないとか、経済成長に歯止めがかかるという反論もあります。
しかし、そもそも社会や地域などのコミュニティというのは、個々人が一人の力では生きられず、色々な人と助け合って生きていくことにより、最終的に個が生存していけるように誕生したものです。
つまり個のための集団であって、集団のための個ではないはずです。
その順番が逆になっているから、上記のような反論が出てくるのではないでしょうか。

 

出来ることは出来る人がすればいい。
出来ない人は出来ないなりに自分が貢献できることを見つけて出来ることを精一杯する。
それで集団は維持できてきたはずです。
誰もが同じような能力を求められ、貢献を求められるのはおかしいと自分は思います。

 

この先子どもに関わるものとして、全員が全員同じ基準で同じ能力を求められることに警鐘をならしながら、教育に携わっていきたいです。

こんにちは。
ロペスです。

 

この間は梅が見頃だということで、春の足音を聞きに北野天満宮まで行ってきました。

 

北野天満宮はご存知の通り、学問の神様である菅原道真が祀られています。
それは知っていたのですが、梅の名所だとは知りませんでした。
菅原道真が梅を好いていたそうで、そのためらしいです。

 

菅原道真の梅への思いれようは大変なものだったようで、『飛梅伝説』なんていうのもあるそうです。
『飛梅伝説』というのは、簡単に説明すると、道真が京を離れる際に梅との別れを
「東風(こち)吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」
と歌うと、梅が左遷先の太宰府に飛んでいったという話です。

 

また長岡京に居たときは、三十六歌仙の一人である在原業平と一緒に梅を楽しみ、その際にも歌を残していたそうです。

 

相当梅が好きだったんですね。
浅学なもので全然知りませんでした。

 

 

北野天満宮の梅園の梅はどれも素敵で、紅白並んで咲いている様子などは本当に微笑ましく思いました。
以下写真。

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ご覧の通り、小ぶりな梅は桜のように華やかに咲き誇るわけではありません。
しかし、ふっくらした花の質感からは可愛さが感じられ、ほほを寄せたくなるようでした。

 

花と言えば、種類によって最後を迎えたときの表現が違うといいいます。

 

桜は「散る」
梅は「こぼれる」
椿は「落ちる」
牡丹は「崩れる」
朝顔は「しぼむ」
菊は「舞う」

 

などなど。
日本語の表現の豊かさには本当にため息が出ます。

 

また、花は美しさを表現する際の比喩にも使われていて、美しい女性を表現するとき
「立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花」
という表現もあったりします。

 

日本語と花の結びつきの強さを感じますね。

 

ただ、これだけの言語文化が豊かな国にいながら、もったいないことにほとんどその言葉に出てくる花を見たことがなかったり、花と名前が一致しなかったりします。

今回北野天満宮で梅を見たことで、「梅」という言葉を聞いた際にイメージする絵が更新されました。
これは自分にとって大きな体験でした。
名前は知っているけど、イメージはあまりわかないな・・・とか、そのイメージが古い言葉がまだまだあるので、実際に姿を見たり、匂いをかいだりして、言語世界を豊かにしていきたいなと思います。

 

おわり

 

水銀

お久しぶりです、ロペスです。

 


絶賛風邪引きです。
熱はわかりません。
というのも、つい最近までうちにはデジタル体温計がなく、水銀の体温計しかありませんでした。
水銀ですよ。
その昔不老不死の妙薬と謳われた水銀です。
過去に不老不死に取り憑かれた大帝国の皇帝を殺してなお、現代の医療製品に用いられているという恐ろしさ。
家でも「あんた、その体温計壊して水銀漏れ出て肌に触れたり傷口に触れたりしたら大変やから、丁寧に扱いや!!」という脅しをうけながら使用していました。
マジで水銀使ってる意味がわからない。
何なの水銀。
お前なんでそこにいるの。
そんな水銀計がついに壊れましてですね。
うちには体温計が無くなった次第です。

 

 

さて、ここ最近ブログの話題がなく、中々更新できていませんでした。
日々がただ過ぎていき、特に面白い話題もない。
毎日がエブリデイって感じ。

しかし、ここにきて中々香ばしいネタを見つけたので書こうと思います。
話題は自己分析について。

 

 

時を遡ること4年前。
当時私は就活生。
色んな御社に祈られすぎて「俺、もう神なんじゃね?」と危ない域に足を踏み入れていた時期。
「自分とは何か」という壮大な問を持つことになりました。
下手すれば「我は神である」とか普通に言ってしまいそうなくらいおかしくなっていた頃、周りの学生は世界を回って自分を探してきたらしく、訳知り顔で


「インドだよ、答えはそこにある」
とか


カンボジアだな。行けばわかる」


みたいなことを行ってました。
私は


「え、本当の自分ってそのあたりにいてるの?誰かついでに一緒に連れて帰ってきてよ」


という姿勢で全く旅には出ませんでした。

その代わりひたすら自己と対話し続ける道を選びました。
自己対話というと哲学チックで何とも言えないいい響きに聞こえますが、実際はひどいもので鏡にうつる自分を見て「お前は誰だ」って問いかけたり、不安を抑えきれず叫んで「あ、俺の声がしてる。俺はここに在る」と安心してニヤニヤしてたり、どう考えても自己対話と言うより事故対話でした。

 

当然そんな方法で自分なんて見つかるわけもなく、今も見つかっていないです。
そもそも自分を知るなんて完全にはできるわけがない。
そこから自分を完全に捉えている必要はないし、簡単な自分の説明書みたいなものを作ればいいんだと思ってからはだいぶ楽になりました。
仕事において、自分はこういうときはこうなる、ああいうときはああなる、そんな感じで場合分け反応をまとめればそれっぽくなるかなと。
あとはそれを○○のような人間ですってまとめられるようなキーワードを持っていればいいかな。 

 

ということで当時の教え子諸君、就活あまり肩に力を入れすぎずに頑張ってください。

 

おわり

 

人間合格

こんばんは。

ロペスです。

 

最近落ち込んでいる時に、追い打ちをかけるように太宰治の『人間失格』を読みました。

マジで入水しそうになりました。

真性のドMです。

落ち込んだ時って、どんどん自分を責めて、そんな自分に浸って、なんか悲劇のヒロインにでもなったような、そんな感じになってしまいます。

よろしくない。

 

本を読んだ後、少し落ち着いてから

「人間に失格があるなら、人間の合格ってなんだろう」

とふと考えました。

何をもって人間とするのか。

人間である、人間でないの境目を決めるのは何なのか。

というか誰がそれを決められるのか。

そのあたりがとても気になりました。

 

参考になるかなと思い、ハンナ・アーレントの『人間の条件』を読んでみましたが、全くもって内容が理解できず、自らの浅学を思い知り、『人間失格』を読んだ時以上に落ち込みました。

結構読書家だと思ってたのにな・・・。

あれくらい難しい本、世の中にまだまだあるんだろうな・・・。

それはそれで楽しみではあるのですが。

 

とりあえず全く参考にならなかった(できなかった)『人間の条件』は、読み終わったプレイボーイと一緒に安置しました。

ごめんなさい。

 

本筋に戻りますが、こういう話の時よく引き合いに出されるのが有名な「アマラとカマラ」のお話。

生まれたときから狼に育てられ、人間社会の影響を一切受けずに生きてきた兄弟の話です。

この話は後に神父さんが二人を引き取り、教育を施し、人並みの生活をおくれるレベルにまで育てたという話になっていますが、信憑性が低く創作だという話もあるので、真偽については何とも言えません。

ただこの話は大変興味深い価値観があり、「神父に引き取られた時点では人並みの生活ができず、二人は次第に『人間』になっていく(それまでは『人間』ではない?)」というものです。

 

 実際に今でも「人間としてしっかりしている」という言い方をする時、それは自立していて社会生活を営める最低限度の資質以上のものを備えていることを表します。

 

だとすると「障害者」「子ども」「年金受給者である高齢者」はどうなるのかって話になってきます。

社会生活を自立して行えていないのは「人間」という定義の範疇から出てしまうのか。

そんなことはないと思います。

というかそんなことを言えば即人権問題です。

 

人間として及第点である、合格であるというのはどのような状態を指し、誰が決めるのか。

太宰治がその点をどのように考えていたのか、とても知りたくなった読書体験でした。

本文中にその答えにつながる示唆があったかもしれませんが、その辺りは読み込めていなかったので、もう一度読んでみようかなと思います。

 

 

おわり

 

ユニオンジャック

こんばんは。

ロペスです。

 

今日は久しぶりに大学時代の団体の友人と飲んできました。

今回はその話。

 

大学時代、まさに学生団体の全盛期。

自分は一つの団体を立ち上げました。

 

ユニオンジャック

https://unionjack2012.jimdo.com/

 

団体のミッションは

「自分以外の他者と関わる活動を通して、様々な価値観に触れ、自分の軸となる「哲学」を形成する」

こと。

 

当時学生団体界隈では「世界一周学生」が流行り、もてはやされていました。

 

「世界を見て価値観が変わった」

「自分の幅が広がった」

「本当に自分のしたいことが見つかった」

 

そんな風に語る大学生達に、自分は違和感を覚えました。

 

「世界に出ないと価値観は変わらないのか」

「本当の『自分』は世界のどこかにいるのか」

「やりたいことは自分と向き合うことで生まれてくるのではないのか」

 

そのように考えた自分は、当時の潮流である「外に開く」スタイルと真逆を行く「内に向かう」学生団体を立ち上げました。

それが「ユニオンジャック

 

他者との関わりの中で自分を見つめ、その中にある感じ方や価値観に気づき、それを磨いていく。

そうすることで自分の中に一本の太い軸ができるのではないかと仮説を立て、団体を立ち上げて活動をしていました。

 

自分自身の価値観や哲学を磨くためには、外の世界に開くことも手段の一つとしてあり得るかもしれないが、結局それらを自分の中で煮詰めて熟成させていくプロセスがなければ形成されないのではないか。

 

そのように考えてました。

 

そんなこんなで学生時代活動をしていた訳ですが、実は社会人になってからもちょくちょく活動をしていました。

 

社会に出て、学生時代とはまた違う経験をし、大人になっていくにつれて価値観や哲学が変容していく。

その経験や価値観を語り合ったり共有できたりすれば、学生時代よりもっと楽しめるのではないか。

 

そう思い活動を継続してきました。

人数はそれほど多くはありませんでしたが、集まれば自然と自己開示が行われ、それぞれのモヤモヤを共有し、解決の糸口を探っていったり、その過程で色んな価値観に触れたりしながら、自分たちは哲学を磨き続けてきました。

 

 そんな活動が細く長く続き、今日を迎えられたことは本当に嬉しいことです。

今後も各々が、自分のフィールドで様々なことを体験し、それらを熟成させ、出来上がった哲学を持ち寄って語り合う。

そんな活動ができれば幸せだなと思います。

 

メンバーは結婚や仕事の関係でバラバラになってしまいますが、これからも活動は続けていきたいです。

 

ってことで、どうでもいいことを深く考えたり、それを他者と共有しあったり、自分と違う考え方に興味のある人は、是非一度ユニオンジャックに遊びにきて欲しいなと思います。

 

という宣伝でした。(笑)

 

おわり