詩の授業
こんばんは。
ロペスです。
私の好きな詩に
「ほんとはね 折り畳み傘 持ってるの」
というのがあります。
いい詩ですよね。
この詩、確か小学四年生が作った詩だったと思います。
私が塾講師をしている頃、この詩を使って一つの授業をしました。
今回はそのお話。
文学的文章では直接的な感情表現を避ける
皆さん、学生の頃に国語の問題で
「この時の登場人物の心情として正しいものを選びなさい」
というような問題に出会ったことがあるのではないでしょうか。
「人の気持ちなんて本人以外わかるわけねぇだろ!」
と言いたい気持ちもわかるんですが、一応問題になってるからには答えがあって、それを導き出すための手がかりが必ず本文中に存在します。
しかし。
しかしですよ。
それが回りくどくてわかりにくい。
なぜか、小説や随筆などの文学的文章と呼ばれるジャンルの作品では、直接感情を表現するのを嫌います。
例えば「肩を震わせる」という表現。
これだけでは笑って肩を震わせているのか、ポロポロ泣きながら嗚咽をこらえて肩を震わせているのかわからないですよね。
この時によく言われるのが
「文脈を読め!」
ということ。
前後の話の流れから、順当に来たらおそらくこういう気持ちになるなと判断して答えを出します。
これがこの系統の問題の解き方です。
わかりにくさの中に楽しさがある
学生はだいたいこういう系統の問題が嫌いです。
大っ嫌いです。
稀に好きな子もいますが。
そんな子のために、ある授業を行いました。
その時使った詩が、最初に紹介した詩です。
「ほんとはね 折り畳み傘 持ってるの」
これ、どういう気持ちか皆さんわかりますか。
恋ですよね。
本当は折り畳み傘を持っているけど、相合傘をしたいから「持ってない」って嘘をついたんでしょう。
ちょっと悪いかなって気持ちと、でも相合傘出来て嬉しいなっていう、ふふってなるような淡い恋心を感じさせる詩です。
仮に。
仮にですよ。
ここで「好き」って書いちゃったら。
「恋」って書いちゃったら。
どうですか。
面白くないですよね。
この感覚なんですよ。
直接的な表現を使うと、わかりやすいかもしれないけど、わかった時の
「あー!こういうことね!」
っていう快感が無くなるんですよ。
語感を磨く
この詩を紹介した時、女の子は
「きゃーー!」
ってなってました。
反対に、男の子は大半が
「は?だから?」
って状態。
でも説明したら途端にニヤニヤし出す。
身悶えする子も出てくる。
ここで「意味がわかった喜び」が教室に広がります。
自分は「語感」というのを何よりも大事にしながら授業を行なっていました。
語感というのは、自分の考えですが、言葉や文章からイメージを受け取れる感性だと思っています。
登場人物のその行動は、その発言は、快の感情から来たものなのか。
逆に不快から来た感情なのか。
それを掴まないことには、文学的文章が読めません。
問題が解けないってこともあるんですが、そういう話は抜きにして、読んでいて楽しくないんですよ。
だからこそ、この「語感」を磨く授業をずっとしていたわけです。
最終的には国語が好きとは言わないまでも、小説が好きって子を増やすことができました。
これはあくまで自分の価値観なんですが、こういったわかりにくいものがわかる過程を楽しめるって、とても豊かだと思うんです。
最近教育から離れてはいますが、文章を書く身になったので、違う立場で「語感」を大切にしたいなと。
読者の「語感」を刺激できるような文章を書いていけるよう、これからも研鑽を詰んでいきます。
おわり