ロペペディア

日々の雑感

仕事って何だ?

こんばんは。

ロペスです。

 

 

毎日記事書いてると、ネタが足りなくなってくるため、色々なところに出向いてネタを集めます。

 

「何か面白いことないですか?」

 

と会う人会う人にひたすら聞きます。

 

「○○が最近出来たらしいよ」

 

「今度○○でこんなイベントあるらしいよ」

 

親切にも皆さん色々な情報を教えて下さり、そのお陰で何とか記事を書けてきました。

そんな中でふと疑問が。

 

「これは果たして仕事なのか?」

 

様々な場所に出向き、取材をして、記事を書く。

行動だけ見ればそれは仕事のように思えます。

しかし、自分はそのイベントや人に出会うことを楽しんでいる。

やりたくてやっている。

これって趣味なんじゃない?

果たして仕事なの?

 

今日は日々の業務の中で持った、そんな疑問について書いていきます。

 

 

仕事って何だ?

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仕事って何でしょうか。

 

「自分の価値を社会に提供すること」

「やならければならないことを粛々とこなすこと」

自己実現をはかるための活動」

etc...

 

三者三様、人の数だけ色々な考え方があると思います。

 

自分にとって、今まで仕事は

「労働によって価値を生み出し、対価として報酬をもらう活動」

のことだと、捉えていました。

そしてそれはやりたいことではなく、やるべきことで、できることだと思っていました。

出来もしないのに、やりたいことだけやっているのは仕事ではなく趣味だと。

そう考えていました。

 

今自分は仕事しているのか。

ライターとして価値が提供できているのか。

出来るというのは何を基準に判断すれば良いのか。

 

今までは教員免許という資格があったため、専門性を持って価値を提供しているという実感がありました。

しかし今はそんな資格も肩書も持っていません。

 

ライター養成講座の修了証を持っているわけでもなく、文学部の学士号を持っているわけでもない。

ただライターやってますと自称して記事を書いているだけ。

果たしてこれは価値を提供していると言えるのか。

それがずっと気にかかっていました。

 

また同時に、仕事を楽しんでやっている自分に違和感もあります。

いや、どちらかというと楽しいことが仕事になっているという感じでしょうか。

取材という名目で人に会える、面白い場所へ行ける、楽しいイベントに参加できる。

 

これが仕事でいいのか。

 

そんな疑問が自分の中で鎌首をもたげるくらい、大きなものになってきました。

 

 

「仕事は楽しい」への不信

 

 

仕事は辛くてしんどいものだ。

そんな価値観が自分の中にはあります。

給料はその我慢料だという考え方です。

「楽しいうちは仕事じゃない」 

 とまで思っているくらいです。

 

仕事は楽しい、素敵だ、自己実現ができる。

 

そんな言葉は、人手不足に悩む劣悪な職場環境の会社が人を集めるために捏造したキラキラワードだろう。

もしくはしんどい環境にいる自分を鼓舞するために、そのように自己暗示をかけないとやってられない人たちが発した言葉なんだろう。

日々周りの友人からの愚痴や、ネットに書き込まれる情報などから、私はそう考えるようになりました。

 

 

 

仕事を楽しんでやっている人は「いる」

 

 

しかし加古川に来て、自分でプロジェクトを立ち上げてやっている人たちはみんな一様に「仕事は楽しい!」といいます。

どうせ今だけだろと思っても、聞くと10年以上続けている人もいたり。

そんな馬鹿な!という驚きに日々出会いました。

 

報酬は決して高くないし、楽そうでもない。

そこだけ見ると、単純にやりがい搾取の半ボランティアに見えます。

ただ何が違うかというと、それを自分の意志で、自分で創っているということ。

搾取も何も、誰かにさせられているわけではない。

搾取元が存在しない。

彼らは何一つ奪われておらず、提供しているのです。

 

また、プロジェクトを立ち上げている人は必ずしもその専門家というわけではありません。

できる保証も信頼も無い。

でも、やる。

やっているんです。

できるできないではなく、とりあえずやってみようよと。

できるかどうかわからないけど、楽しそうだし、まずやってみようよという考え方で動き出しています。

 

自分はできる保証もないのに、プロジェクトを立ち上げるなんて、とてもじゃないけど簡単には出来ません。

今回ライターをすることに踏み切ったのにも、相当勇気がいりました。

 

 

 

「やらされがい」でなく「やりがい」 

 

 

そんな中、気づいたことが二つ。

彼らは自分の意志で自分の行動を選択し、それに納得して行動しているということ。

そしてやると決めてから、出来るように力をつけたり、人を集めたりすること。

 

自分の中の違和感を無理やり無くすため

「これは自分の好きなことだ、やりたいことだ」

と自己暗示をかけることなく、純粋にやりたいことをしている。

 

そしてそこに出来るという自信がなくても、やるという覚悟がある。

 

こんな事が現実に可能なのかと、本当に驚きました。

今でも何か裏があるんじゃないかと疑ってるくらいです。

 

もし本当に「やりがい」なるものが存在するとすれば、これなのではないかと。

したくないことに無理やり理由付けして、これがやりたいことだと思い込んでいる「やらされがい」でなく「やりがい」が、本当にあるんじゃないか。

最近そう思うようになりました。

 

それと同時に、自分もこのやり方でいいかもしれない。

仕事として間違っていないかもしれないと、考えるようになりました。

 

出来ないことは多いけれど、この先力をつけていけばいい。

出来る自信でなく、やる覚悟を。

 

まだ答えは出ていませんが、何となくこれって、自己啓発的なキラキラした意味合いを抜きにして本当に素敵なことではないでしょうか。

何かいいですよね。

素敵。

うふふ。

 

 

自分は「素敵な働き方がある!みんなも素敵になろう!!」みたいな自己啓発的なメッセージを出すのも出されるのも反吐が出るほど嫌いです。

なので素敵だからどうなんだという話ではなく、ただ素敵な人たちがいるねってだけにとどめておきます。

そもそも素敵かどうかは人それぞれ違うし、自分の価値観を押し付けるのはあまり好きではないので。

まあそういう生き方をしている人たちが加古川にいましたよ、興味あれば会ってみて下さいって感じで、締りは悪いですが、ここまでにしておきます。

 

 

おわり

 

 

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