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日々の雑感

【教育座談会】「求められる能力」って、誰が求めてるの?ー岡村 優努×ロペス×片岡 利允

こんばんは。

ロペスです。

 

 

今日はちょっと専門的な内容を。

 

今朝、新学習指導要領を読んで友人たちと座談会を行いました。

参照URL

新学習指導要領(平成29年3月公示):文部科学省

 

学校で「何を」「何のために」教えるのか。

教える際にどのようなことに気を配れば良いか。

それが記されているのが学習指導要領です。

これには法的拘束力があり、最低限教えなければいけない「must」なものです。

 

教育に身を置くものとしては、目を通しておきたいものですが、正直読み込んでいる人はあまりいないのが現状。

なぜなら、別に学習指導要領を見なくても、それに基いてつくられている教科書に沿って授業を行えばそれで事足りるからです。

 

しかし教科書だけに頼らず、教材の段階からつくろうとしている者たちにとっては、日本の教育の方向性を知るための貴重な資料です。

ということで、興味を持ちそうな友人たちを集めて座談会を行うことにしました。

 

集まったのは3人。

以前このブログでも紹介した関西大学大学院の修士課程一年生の岡村 優努くん。

・インタビュー記事

ropeth0313.hatenablog.com

 

大学の後輩であり、奈良県の公立小学校教員の「とっくん」こと片岡 利允。

・彼のブログ

tokkun1225kotonakare570.hatenablog.com

 

そして私ロペス。

この3人です。

 

当初、学習指導要領についてはもう少し読む予定でした。

しかし、それぞれの想いや課題意識が溢れ出て議論が深まったので、結果的に良かったかなと。

本当に濃いメンバーで、よどみ無くテーマが出てきて、どんどん議論が進み、本当に楽しかったです。

 

 

そんな本日の座談会。

スパイスの効いた3人のカオスな鼎談、是非ご賞味下さい。

 

 

「求められる能力」って、誰が求めてる?

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まず最初に、改訂のポイントを3人で黙読。

 

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これを叩き台に

 

そして気になるところを挙げて、それについて議論をしていこうという話になりました。

黙読の後、岡村くんが

 

「この『子供たちに求められる資質・能力』って、誰が求めてるんですかね。」

 

と疑問を投げかけ、これが議題に。

とっくんは「なんやねんこれ」「どういうことやねん」と新学習指導要領にいろいろ思うところがあるみたいで、ブツブツ言いながら読んでいましたが、岡村くんの疑問に共感。

上記の疑問をそれぞれ考えていくことに。

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 片岡:ここに書かれている『求められる能力』って「社会全体が」求めてるって感じですね。

 

ロペス:うーん・・・社会全体が必要だと考える能力、それを持った子どもに育てるために国に雇われたのが教師だとすると、教師もそうなんじゃない?

 

岡村:公務員は全体の奉仕者ですから、そうですね。教師は子どもを教育することを通して社会に奉仕しています。ただ、そこで子どもも奉仕者にさせられていると思うんですよ。

 

片岡:それなんか・・・わかる、わかるわかる!!

 

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右の図が教師から子ども、子どもから社会への奉仕の流れ図。本来は左の図のイメージ。(とっくん作)

 

片岡:本来、教師は子どもも含めた社会全体に奉仕をするイメージ。でも実際は一部の偉い大人たちがつくる社会で、子どもが社会から切り離されている。そして教師は子どもを通して社会に奉仕をしている。

 

ロペス:一部の偉い大人がつくった社会から、教師を通して「こう育つべきだ」っていう押し付けがあって、子どもがそれに従う形で社会に奉仕させられているってことね。それについて岡村くんはどう思うの?

 

岡村:僕はしたくないですし、されたくないです。

 

ロペス:ハッキリ言うね(笑)

 

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岡村:この文章の「求められる能力」の中では、子どもの成長したい像が無視されています。一部の大人がつくっている社会を通して「教師」から一方的に押し付けられている。お互いに「人間」と「人間」なら対話によって交渉の余地があっても、「教師」と「子ども」となった瞬間、そこに権力関係が生まれるんです。子どもは教師に従うもの。そういう関係になったら子どもにconviviality(コンビビアリティ)が無くなってしまう。

 

ロペス:なるほど。人間同士の関係なら対等でも、肩書がついた途端そこに権力関係が生まれて、一方が一方に従わされるという状況に陥ってしまうってことね。確かに学習指導要領では子どもが育ちたい姿は考慮されていなくて、一部の大人が構成する社会や教師が権威を持って方向づけしてるよね。

 

岡村:学習指導要領なんで、学習する子どもが主役のはずなんですけどね。子どもの話は出てこないですね。

 

 ※conviviality(コンビビアリティ)

権限。その事柄に対して、意見を述べたり干渉したりする力。公共性があり、どちらか一方に属するものではなく、お互いが共有するもの。

 

肩書神話の崩壊

 

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この時点で、能力を求めているのは誰か明確にわからずとも、少なくとも「子どもの意見はそこに反映されていない」ということが明らかになります。

そして議論のテーマは「肩書」へと移ります。

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片岡:肩書という話をすると、教師という肩書にはもうパワーがないですよ。昔はあったかもしれないけど。今は教師も「普通の大人の一人」だということがバレてきている。

 

ロペスバレてきている?

 

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片岡:そう。もともと「普通の大人の一人」だったけど、肩書がそれを隠していた部分があった。今はそれが無くなっている。

昔は先生に従っていればうまくいくというレールが社会にあって、それが教師の肩書のパワーを下支えしていた。けど今はそうじゃない。どうなるかなんて先生にもわからない。

今教員の質の低下が叫ばれているけど、それは質が下がったんじゃなくて、肩書が意味を成さなくなって隠れていたものが見えてきただけだと思う。

 

ロペス:そうなると教師も肩書に頼れず、「人間」として語らざるを得なくなる。

 

片岡肩書による権力構造の逆転もうは実際に起きてるんですよ。教師より知識があって、その道に精通している子どもなんていくらでもいる。もう肩書や立場を利用して何かを押し付けるというのは出来なくなっている。

 

ロペス:それは一部の特権階級の人からしたら、大迷惑な話やね(笑)

 

片岡:でもそれは実際、現場で起こっているんですよね。

 

 

conviviality(コンビビアリティ)を持たせたいか? 

 

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ここから「子どもがconviviality(コンビビアリティ)を持って『求められる能力』に意見ができるようになったら?」という話へ。

議論が熱を帯びてきます。

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片岡:子どもがそこに意見できるようになったら、めっちゃ面白いのにな・・・。

 

ロペス:カオスやろそれは(笑)でもconviviality(コンビビアリティ)の考え方からしたら、それが健全な社会の形になるんだよね?

 

岡村:そうですね。今の時点でも、パブリックコメントとして子どもが意見を主張することは不可能ではないんです。ハードルは高いですが、我々専門家が子どもの意見を吸い上げて、それを形にして出すといったことも考えられます。

 

ロペス:2人はさ、そのconviviality(コンビビアリティ)を子どもに持たせることについてどう考えているの?

 

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目が真剣味を帯びてくる二人 

 

片岡:僕は子どもに持たせたいと思っています。学校の決まりなどにも干渉出来るレベルで。でないと、子どもがすごく受け身な態度になってしまう。conviviality(コンビビアリティ)がない環境で主体性が大事だとか話をしても、それは「主体的にさせてもらっている」だけであって、本質的に主体性が発揮できていると言えないと思いますね。

 

ロペス:なるほど。岡村くんは?

 

岡村:僕もそういう社会にしていきたいです。

 

ロペス:だとすると、この「求められる能力」に関して違和感を持つのも当然だよね。

 

岡村:まずおかしいと思うのは、公務として全体に奉仕をするっていっておきながら、「求められる能力」を一部の大人が決めることによって、そこに排他性を孕んでしまっていることなんですよね。決めてしまったら、その瞬間にそれ以外がいけないことになるじゃないですか。「こうあるべき」みたいなものが生まれた瞬間に、排除が始まっているんですよ。そこに矛盾を感じますね。

 

 

 

肩書を脱ぐ

 

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 話は広がって、「conviviality(コンビビアリティ)のある社会を目指すためにどうするか」について。

それぞれの価値観が深掘りされ、議論はついに佳境へ。

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ロペス:でも、俺はやっぱりconviviality(コンビビアリティ)がある状態になれば、それは結局特権階級の人たちにとって不幸な結果になると思うんだけど。

 

岡村:それは権力構造の逆転が起これば、そうなります。ただ、一方が権限を持つのと違って全員が対等に議論できる土壌になるので、特権階級が地に堕ちて蔑ろにされるという状況にはならないと思います。そもそもconviviality(コンビビアリティ)が共有されている状態というのは、特権階級の人たちにも理解があるので、肩書にこだわるようなこともないと思いますけどね。

 

ロペス:俺は虐げられた特権階級が革命的な運動を起こすってイメージを持っていたけど、そうではないと。ただそのためには、人々の中にそういった感度を磨いていく必要がある。

 

片岡:そうですね。革命的な運動が起こるのは順番が逆だからじゃないですか。先にconviviality(コンビビアリティ)が受け入れられる文化をつくって、そこからだと思います。それがない状態でいきなりその考え方を走らせれば、当然反発する人がでてきますから。

 

ロペス:そのためには自分たちはどうしていけると思う?

 

片岡:自分のフィールドはあくまで教室なので、そこでの話になりますが・・・。僕は「先生」という肩書を脱いじゃう(笑)実際に今のクラスでもそうしてきたんですよ。初めはそりゃしんどかったですけど。先生として立ってしまったら、権力構造があるから、絶対conviviality(コンビビアリティ)のある社会は実現できないと思うんです。

 

ロペス:それを実際にやってるところがすごいよね。岡村くんは?

 

岡村見えない問題を見える化することですね。個人としてできることはそうです。そうすることで自分たちが何にconviviality(コンビビアリティ)があるのか、ないのかが判断できる。そこに気付いてからだと思います。

 

ロペス:なるほど。二人がこれまでしてきたこと、これからしていきたいと考えていることを聞けてよかったよ。ありがとう。

 

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鼎談を終え一息つく二人

 

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今回は新学習指導要領を読むという目的で開いた会でしたが、このように色々な方向に話が広がったため、当初予定していたことよりも面白い話がたくさんできました。

「求められる能力」について、子どもの意見が反映されていない。

その現状をどう捉え、どうしていくか。

これからも二人と一緒に、教育について話ができるのを楽しみにしています!

ありがとうございました!

また、記事を見て興味を持った人は是非一緒に話してみませんか?

いつでも連絡お待ちしています!

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おわり