紹介する強さ
こんばんは。
ロペスです。
縁あって、教育とは別にこれからライターとしての仕事をいただくことが決まりました。
詳細はまだお話出来ないのですが、簡単に言っちゃうと、人の素敵なところを発掘して、それを読者に伝える記事を書く仕事です。
読んだ人に「この人に会ってみたいな!」と思ってもらったり、「こんな人が身近にいるんだ!」ってワクワクしてもらうのが目的です。
仕事をもらった時、自分には
「今までブログ書いてきたし、文章力には自信がある!うまくやれる!」
という自信がみなぎっていました。
しかし、それが勘違いであると気づいたのがついさっき。
まず、自分が書いてたブログって、基本的に「日記形式」なんですよね。
「記事」ではないんです。
どういうことか。
ブログは内容によって「記事」と「日記」との二つに大別されるらしく、以下のような規準で分けられているそうです。
・記事
「何を」「誰に」伝えて、「どういう気持ちになってほしいのか」「どうして欲しい
のか」が決まっており、戦略的に組み立てられたもの。
・日記
自分の思いや気持ちを書くもの。
この定義から言うと、自分の記事は「日記」であり、ただ自分の思考や感情を綴っているだけに過ぎないんですね。
それを誰に届けたいとか、読んだ人にこう思ってもらいたいとか、そういう目的意識が全くない。
別に「日記」が駄目で「記事」が良いという善し悪しの話ではないのですが、今後ライターとして仕事をする際は、当然書いたものをターゲットに届けなければならないし、それによりどのような効果を与えたいのかというところも考慮に入れなければなりません。
この分類を知る前までは結構自信があったのですが、ただ文章を書けるというのではなく、目的に応じて読者に訴えかけるメッセージ性のある記事を書く必要があるとわかってから、ちょっと自信がなくなったんですね。
でもそこは正直問題だとは思っていません。
初めから仕事に対して自信満々で臨むのは過信に繋がりかねないだろうという危機感があるのと、仕事において必要なのは「出来る!」という自信より「やる!」という覚悟だと自分の中では思っているので、あまり自信のあるなしはどうでもいいんです。
ただ気になったのは「なぜ今までそのような記事を書いてこなかったのか」という一点。
これまで文章を書く機会なんていくらでもありました。
このブログでもそうです。
趣味で言えばおすすめの映画を紹介したり、本の魅力を語ったり、そうすることで読者に興味関心を持ってもらおうと、「記事形式」の文章を書けたはずなんです。
なぜ自分は「記事」が書けなかったのだろう。
それを突き詰めて考えた時、過去の苦い体験が思い出されました。
大学時代、色々団体立ち上げて活動をしていたんですが、結構周りの友人からは批判を浴びていました。
そこまでいかなくとも、理解されず、苦しんでいました。
イベントをつくってSNSで招待する時も、身近な環境の友人を誘うことは基本避けてきました。
理解されず、相手にされず、批判されたり認められなかったり、そういうのがすごく怖かったんです。
そこはコンテンツに問題があったというより
「お前にそれをやる資格があるのか」
「その前にやることがあるだろ」
というような、自分自身のあり方に問題があったと後々気がつくことになるんですが、それでも自分は「いいと思って紹介したものが馬鹿にされる」という、苦い思いをしたんですね。
その経験から、自分が本当にいいと思ったことや感動したこと、素敵だなと感じたことを人に紹介するのがとても怖くなりました。
今でもそうなんだと思います。
「わかってくれなかったらどうしよう」
「バカにされたらどうしよう」
そういう恐怖感があったため、否定されないような、理解してくれそうな人にだけ紹介するようになりました。
ただ、今後頂いた仕事を進めるにあたり、「この人いいな!」「この人素敵だな!」と思ったことを発信するのに躊躇していたら、いつまでたっても記事は書けません。
「いい」「素敵だ」と思ったことを、「いいんだよ」「素敵なんだよ」と、言い切る勇気が必要になってきます。
ここは乗り切らなければならない。
このタイミングでこの仕事を頂いたのは何かの縁。
上記の恐怖感を克服する一つの試練なのかもしれません。
これを機会に、自分は自分のいいなと思ったこと、素敵だなと思ったことをしっかり勇気をもって伝えられる人間になりたい。
また皆さんに告知が出来る段階になったら、こちらでも紹介するので、
是非自分の「記事」を読んでください!!
お願いします!!
おわり