ロペペディア

日々の雑感

仕事って何だ?

こんばんは。

ロペスです。

 

 

毎日記事書いてると、ネタが足りなくなってくるため、色々なところに出向いてネタを集めます。

 

「何か面白いことないですか?」

 

と会う人会う人にひたすら聞きます。

 

「○○が最近出来たらしいよ」

 

「今度○○でこんなイベントあるらしいよ」

 

親切にも皆さん色々な情報を教えて下さり、そのお陰で何とか記事を書けてきました。

そんな中でふと疑問が。

 

「これは果たして仕事なのか?」

 

様々な場所に出向き、取材をして、記事を書く。

行動だけ見ればそれは仕事のように思えます。

しかし、自分はそのイベントや人に出会うことを楽しんでいる。

やりたくてやっている。

これって趣味なんじゃない?

果たして仕事なの?

 

今日は日々の業務の中で持った、そんな疑問について書いていきます。

 

 

仕事って何だ?

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仕事って何でしょうか。

 

「自分の価値を社会に提供すること」

「やならければならないことを粛々とこなすこと」

自己実現をはかるための活動」

etc...

 

三者三様、人の数だけ色々な考え方があると思います。

 

自分にとって、今まで仕事は

「労働によって価値を生み出し、対価として報酬をもらう活動」

のことだと、捉えていました。

そしてそれはやりたいことではなく、やるべきことで、できることだと思っていました。

出来もしないのに、やりたいことだけやっているのは仕事ではなく趣味だと。

そう考えていました。

 

今自分は仕事しているのか。

ライターとして価値が提供できているのか。

出来るというのは何を基準に判断すれば良いのか。

 

今までは教員免許という資格があったため、専門性を持って価値を提供しているという実感がありました。

しかし今はそんな資格も肩書も持っていません。

 

ライター養成講座の修了証を持っているわけでもなく、文学部の学士号を持っているわけでもない。

ただライターやってますと自称して記事を書いているだけ。

果たしてこれは価値を提供していると言えるのか。

それがずっと気にかかっていました。

 

また同時に、仕事を楽しんでやっている自分に違和感もあります。

いや、どちらかというと楽しいことが仕事になっているという感じでしょうか。

取材という名目で人に会える、面白い場所へ行ける、楽しいイベントに参加できる。

 

これが仕事でいいのか。

 

そんな疑問が自分の中で鎌首をもたげるくらい、大きなものになってきました。

 

 

「仕事は楽しい」への不信

 

 

仕事は辛くてしんどいものだ。

そんな価値観が自分の中にはあります。

給料はその我慢料だという考え方です。

「楽しいうちは仕事じゃない」 

 とまで思っているくらいです。

 

仕事は楽しい、素敵だ、自己実現ができる。

 

そんな言葉は、人手不足に悩む劣悪な職場環境の会社が人を集めるために捏造したキラキラワードだろう。

もしくはしんどい環境にいる自分を鼓舞するために、そのように自己暗示をかけないとやってられない人たちが発した言葉なんだろう。

日々周りの友人からの愚痴や、ネットに書き込まれる情報などから、私はそう考えるようになりました。

 

 

 

仕事を楽しんでやっている人は「いる」

 

 

しかし加古川に来て、自分でプロジェクトを立ち上げてやっている人たちはみんな一様に「仕事は楽しい!」といいます。

どうせ今だけだろと思っても、聞くと10年以上続けている人もいたり。

そんな馬鹿な!という驚きに日々出会いました。

 

報酬は決して高くないし、楽そうでもない。

そこだけ見ると、単純にやりがい搾取の半ボランティアに見えます。

ただ何が違うかというと、それを自分の意志で、自分で創っているということ。

搾取も何も、誰かにさせられているわけではない。

搾取元が存在しない。

彼らは何一つ奪われておらず、提供しているのです。

 

また、プロジェクトを立ち上げている人は必ずしもその専門家というわけではありません。

できる保証も信頼も無い。

でも、やる。

やっているんです。

できるできないではなく、とりあえずやってみようよと。

できるかどうかわからないけど、楽しそうだし、まずやってみようよという考え方で動き出しています。

 

自分はできる保証もないのに、プロジェクトを立ち上げるなんて、とてもじゃないけど簡単には出来ません。

今回ライターをすることに踏み切ったのにも、相当勇気がいりました。

 

 

 

「やらされがい」でなく「やりがい」 

 

 

そんな中、気づいたことが二つ。

彼らは自分の意志で自分の行動を選択し、それに納得して行動しているということ。

そしてやると決めてから、出来るように力をつけたり、人を集めたりすること。

 

自分の中の違和感を無理やり無くすため

「これは自分の好きなことだ、やりたいことだ」

と自己暗示をかけることなく、純粋にやりたいことをしている。

 

そしてそこに出来るという自信がなくても、やるという覚悟がある。

 

こんな事が現実に可能なのかと、本当に驚きました。

今でも何か裏があるんじゃないかと疑ってるくらいです。

 

もし本当に「やりがい」なるものが存在するとすれば、これなのではないかと。

したくないことに無理やり理由付けして、これがやりたいことだと思い込んでいる「やらされがい」でなく「やりがい」が、本当にあるんじゃないか。

最近そう思うようになりました。

 

それと同時に、自分もこのやり方でいいかもしれない。

仕事として間違っていないかもしれないと、考えるようになりました。

 

出来ないことは多いけれど、この先力をつけていけばいい。

出来る自信でなく、やる覚悟を。

 

まだ答えは出ていませんが、何となくこれって、自己啓発的なキラキラした意味合いを抜きにして本当に素敵なことではないでしょうか。

何かいいですよね。

素敵。

うふふ。

 

 

自分は「素敵な働き方がある!みんなも素敵になろう!!」みたいな自己啓発的なメッセージを出すのも出されるのも反吐が出るほど嫌いです。

なので素敵だからどうなんだという話ではなく、ただ素敵な人たちがいるねってだけにとどめておきます。

そもそも素敵かどうかは人それぞれ違うし、自分の価値観を押し付けるのはあまり好きではないので。

まあそういう生き方をしている人たちが加古川にいましたよ、興味あれば会ってみて下さいって感じで、締りは悪いですが、ここまでにしておきます。

 

 

おわり

 

 

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「心に余裕がないと、楽しめない」【教師】片山 敦夫

こんにちは。

ロペスです。

 

 

今回はインタビュー記事。

 

 

「お!物シリーズか??」

ropeth0313.hatenablog.com

 

と思った方。

断じて物ではない。

ましてやシリーズなどない。

あんなのしょっちゅうやってたらおかしくなる。

もう二進も三進もいかなくなれば、またするかもしれませんが、あれは伝家の宝刀です。

そう安々と使えるものではないのです。

 

ということで、今回のお相手は、片山 敦夫先生。

 

夏休みを迎え、人であふれる猛暑の古都「京都」で三回目のインタビュー、スタートです。

 

 

片山先生

 

片山さんは京都府中高一貫校で先生をしておられます。

教えている教科は理科。

理系というと研究室にこもってそうな、寡黙な人をイメージしますが、片山さんは気さくで話しやすい方でした。

 

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パスタを前に笑顔満開の片山さん。こんなに嬉しそうにパスタ見る人は初めて。

 

お互い昼食がまだだったので、一緒に御飯を食べながら話しました。

終始笑顔で言葉は丁寧。

人当たりも柔らかく、温かい人柄の方です。

 

ご飯を済ませたら場所を移し、インタビュー開始。

お互い襟を正して向き合いましたが、それでも場の雰囲気は柔らかく、とてもやりやすい空気感の中スタートしました。

 

 

なぜ先生に

 

 

ロペス:なぜ先生になろうと思われたのですか。

 

片山:小学校1年生、2年生のころの先生が一番大きなきっかけですね。当時いじめに合っていまして。僕は学級委員長タイプで、それを気に入らないと思う奴からいじめを受けていました。具体的に何をされたかまでは覚えていませんが、いじめを受けていたときの感覚は鮮明に残っています。

 

ロペス:そういうの、抜けないですよね。自分も似た経験があるのですが。

 

片山:そうですね。その時助けてくれたのが当時の担任の先生です。50前半の女性の先生で、田舎育ちでお兄さんと蛇を振り回して遊んだというやんちゃな話をよく聞きました。僕がいじめに合っていたときは、優しくずっと寄り添ってくれていました。何かあれば先生に頼ればいい。そんな安心感のある先生でしたね。

 

ロペス:寄り添ってくれるというのは。

 

片山常に背を合わせている感じです。見えないですけど、背中に温かみがある。そんな感じですね。

 

ロペス:うわ、めっちゃいい表現それ(笑)ストンと落ちました。

 

片山:その先生の様になりたいと思ったのが、教職を目指したきっかけです。

 

 

  「興味関心の芽」を逃さない

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スタバでもこの笑顔 

 

ロペス:教師をされていて、一番「やってやる!」と燃え上がるタイミングってありますか。

 

片山:雑談のときですかね。

 

ロペス:雑談・・・ですか。

 

片山:はい、理科に関わることであれば、拾ってとことん付き合います。それがその子にとって興味関心の芽だと思うんですよね。授業の中で、何らかの理由でそこに引っかかった。そこは絶対見逃さないようにしていますし、本人が納得するまで付き合うようにしています。興味関心の芽を教師がスルーしたら、そこで相手の興味関心が終わっちゃうかもしれないじゃないですか。だから絶対逃さないようにしていますね。

 

ロペス:それがご自身の教育観とも関わっていますか。

 

片山:そうですね、関わってきます。自分で大事にしているのは「応答」なんです。機械で例えると「レシーバー」。常にONの状態にしておく。いつ相手からアクションがあっても、リアクションできるようにしています。また単純に疑問に対する答えを教えるだけでなく、何かを載せて返したいと思っています。

 

ロペス:「何か」とは何ですか。

 

片山:例えば相手が質問をしてきたとする。それに対して答えを出すだけなら教科書や参考書で済むわけですよ。そうじゃない。そこに付録として様々な情報を載せて返したいと思っています。ですから付録も色々ストックしていますね。

 

ロペス:それは「面白さ」につながりますね。

 

片山絶対面白いでしょ!僕は理科が大好きですし、相手にもそう思ってもらえるといいなと思っています。相手が面白いと思える、そんな芽が出てきたチャンスは絶対に逃がさないです。

 

 

勉強できないことは何が不幸か

 

ロペス:ここで質問を変えて、片山さんは勉強ができない人って不幸だと思いますか。

 

片山:義務教育段階で言うと、偏差値50以下ということは、義務教育内容を理解できていないということじゃないですか。僕の感覚としては、解き方を知っているだけで何とかなる55くらいもその範疇に入るんですけど。そのレベルの人って、支援や補助を受けるための行政文書の読解力がないとか、金銭的な面で数字に弱いとか、そういった点で不幸だと思います。

 

ロペス:生活インフラの利用すら出来ない。

 

片山:そうですね。生きる力において大変だと思います。崖から落ちそうな時、つかめるものがあるのに不勉強のためにつかむことができない。

 

ロペス:いくら行政が支援を充実させても、そこにアクセスできるだけの基礎教養がないとなればその支援は利用できないですもんね。現場におられて、内容を理解できていない子たちってたくさんいますか。

 

片山:たくさんどころじゃないですよ。去年の内容を理解しないまま進級してきている人だらけです。義務教育の内容が怪しい人もいます。もし自分にカリキュラムや制度を触れる権限があれば、留年制度を導入して、ちゃんと出来てから次に進めるようにします。また、そういう人って客観的にものを見ることができないというか、自分の経験だけでしかものを見られないと思うんです。いざという時に、頼れるのが自分の経験しかない。勉強していれば、様々な知識にアクセス出来るし、先人の解決策を用いることが出来るかもしれない。

 

ロペス:確かに。そうなれば生きていく上で心強いですね。

 

 

余裕をつくる

 

 

ロペス:この先、教育がこういう方向に進んでいけば面白いのにと思うことってありますか。

 

片山:この進路に進みたければ、このような方法があるよというレールがプログラム化されて、それがたくさん創出されれば楽というか、楽しいと思いますね。

 

ロペス:楽ですか・・・。どうしても日本的な価値観で考えると「楽ばかりしていると楽しめない」「しんどいこともしなくてはいけない」と考えがちですが、効率化する意味というのは一体何なのでしょうか。

 

片山:もちろん、そういうことも大事だと思います。でもしんどいばかりじゃ無理ですよ。続かないです。心に余裕が無いと楽しくないでしょ。楽しいと感じるためには余裕が必要です。ですから楽するというのはとても大事です。

 

ロペス:その為に「効率化」をすると。

 

片山:そうです。楽できるよう余裕をつくりだす。また余裕ができればその分新しいことも出来るじゃないですか。次の発展のための余裕ができますよね。新しいことをする、効率化する、余裕ができる、また新しいことをする。このサイクルを回すことで成長していくのだと思います。

 

ロペス:他に何か余裕をつくるために心がけていることはありますか。

 

片山7割の力で生きることですかね。10割で生きつづけるのはしんどいですし、続かないです。ただ、この7割というのは手を抜いているという意味ではなくて、多分10割目指してやっても7割り程度しかでないだろうなという意味で7割です。そういう意味で言えば10割だそうと思えばそれ以上の努力がいる。限界を超えながらやり続けたら潰れますよ。そうならないよう、コントロールはしています。

 

ロペス:個人的に、10割出そうとしちゃうので、見習わせていただきます(笑)今日はありがとうございました。

 

片山:ありがとうございました。

 

 

 

子どもの興味関心の芽を逃さないという心の構え、勉強の意味、余裕の大切さ・・・。

示唆に富む話をお聞かせいただき、私自身本当に勉強になりました。

余裕をつくって楽しめるよう、自分もこの先気をつけます(笑)

 

今回のインタビューはここまで!

片山さん、ありがとうございました!

 

 

おわり

 

 

 

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酒池肉林ー【元町三丁目商店街の夜市】

こんばんは。

ロペスです。

 

 

食事の時

「それ美味しそうだね!」

と言うと

「何だよ!あげねぇよ!」

って逃げられます。

いやいやいや、食わねぇよ。

感想述べただけじゃん。

何だよその反応。

デブだからって人のものまで勝手に食うと思うなよ。

マジで食うぞ。

 

そもそも、最近ダイエットすると決意を新たにした私。

 

脱デブに向けて進んでいるわけで。

何でもかんでも食べたりしません。

減食します。

 

 

しかし、仕事で取材となれば、グルメレポ―トだって当然あります。

プロの鏡、ロペス。

仕事となれば増量も辞さない構え。

 

ということで、今日は元町の夜市へ参加してきました。

痩せたいんですけどね、仕事だから仕方ないんですよ。

断腸の思いです。

 

ではお送りします。

レッツ・グルメレポート!!

ヒャッハー!!

 

元町三丁目商店街

 

 

今回のお出かけ先は元町にある三丁目商店街です。

 

motomachi3.jp

 

少し歴史を調べてみたのですが、なんと日本で初めて珈琲が飲める喫茶店がこの商店街にあったそう。

お店の名前は「放香堂」。

今は日本茶専門店ということで、喫茶営業は行ってないとのこと。

一度行ってみたかった・・・。

 

その他にも、海外から来た方々と交流する機会の多かった元町は、洋菓子や洋服、写真館など海外の新しいものにいち早く出会える場所だったそうです。

 

現在はメリケンパークの近くということもあり、活気のある商店街として、今なお地域の方々に愛されています。

 

 

夜市へ

 

さて、やってきました。

元町三丁目商店街の夜市。

同僚のありひろとともにレポートが始まります。

 

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 えっ・・・人多っ!!! 

 

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シェフも多っ!!

 

ものすごい人の数でした。

ちょっと痩せようかなと思うくらい、歩くのが大変でした。

 

ただまあ、さすがお祭り。

エネルギーが半端ない。

売り子さんの大きな声、友達を見つけてはしゃぐ若者、ライブをしているミュージシャン。

音一つとっても、様々な盛り上がりが点在していました。

 

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めっちゃ盛り上がってた

 

目にも楽しい祭りということをアピールするために、浴衣女子の写真も狙っていたんですが

「取材のためだから・・・これ仕事だから・・・ひひっ」

ってな様子だったようで、ありひろに止められました。無念。

次回リベンジします。

 

 

祭りの楽しみといえば、やはり何と言ってもお店ですよね。

お店は自分たちが子供の頃とは違い、様々な種類がありました。

 

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まずはビールとつまみ。至高。

 

 

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日本酒もあります。加古川の地酒『盛典』とありひろ

 

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播州ラーメン初挑戦。美味!!

 

 

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ソーダもおしゃれな仕上がりに

 

 

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ミニトマトすくいなんてお店も!!

 

 

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もちろん我々も挑戦。切り込み隊長ありひろ。

 

 

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おわかりいただけるだろうか。カップの中をご注目下さい。空。

 

 

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私も挑戦

 

 

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まあざっとこんなもんですよ。

 

 

結果

 

とても楽しかったです。

本当に。

これぞ祭りという感じで、熱気活気元気てんこもりの商店街でした。

 

夏はまだまだこれから。

是非皆さんも色々な祭りに足を運んでみて下さい。

私も取材であちこち回ろうと思っています。

あくまで取材で。

 

 

 

おわり

インプロビゼーション

こんばんは。
ロペスです。


子どもの頃、演劇が好きでした。
絵本の『エルマーの冒険』の劇でゴリラを怪演し、客席にどよめきを起こしたのが小学生のころ。
それ以来演技をする機会はほとんどありませんでしたが、才能は錆びずに私の中でひたすらその時を待っていました。

そしてその才能が花開く時が訪れます。
大学二年生の時のこと。
私はインプロビゼーション、通称インプロに出会いました。

 

今回はそのインプロビゼーションについて。お話をしていきます。



インプロとは?

 

 

インプロとは、即興演劇のことを指します。

台本がなく、その場の雰囲気や相手の発言、アイデアなどから演技を行うプログラムです。
簡単に言えば全部アドリブの劇。


元々は俳優の演技のトレーニングとして生まれたものですが、今では企業研修や学校のワークショップなどで取り入れられています。

 

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『マスク』で有名な俳優、ジム・キャリーなどもインプロを取り入れています。



このインプロ、面白いところがあって「間違い」という概念がないんです。
台本がないからこそ、正解がない。
どんなアイデアも、発言も、アイデアも同等に価値がある。

 

「正解を出さなければならない」という呪縛に囚われた現代人にとって、この考え方は新しく、自分を開放するワークショップとして各地で広がりをみせているのです。



インプロとの出会い

 

 

大学二年生の頃、私は初めてインプロに出会います。

「ちょけ・ラテ」という、インプロのワークショップを行う団体の先輩とお会いし、よくわからないまま団体に加入しました。

 

chokelatte.jimdo.com


メンバーの方々は優しい人ばかりで、本当に温かい場所で、今でも大好きな場所です。

  

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ワークショップを行う大学時代の私


ワークショップも柔らかい、あたたかい、団体の理念を反映した優しいものでした。

参加者にほっこりしてもらって、元気になって帰ってもらう。
そんな活動に関われていたことを誇りに思います。

 


ワン・ピクチャ

 


様々あるワークショップの中で、私が一番好きなのがワン・ピクチャと呼ばれるもの。

簡単に言うと、制限時間内に出されたお題について静止画をつくるというものです。

 

まず4〜7人くらいのグループにわかれます。


次にグループごとにテーマが与えられます。
例えば「結婚式」

グループメンバーは指定されたテーマについて、5秒以内にその場で役になりきってポーズをとらなければなりません。

 

花嫁役をする人。

花婿役をする人。
神父をする人。


などなど。

当然配役がかぶることもありますが、正解がなければ間違いもない。

花嫁が二人いてもいいわけです。

「ああ、お婿さんお盛んなんだな」

で済みます。

 

またトンチをかましてくる人もいて、花嫁を奪いにきた男や、教会の十字架など、様々な配役が生まれるのも個人的に面白いなと思います。

 

ただ大事なのは「面白いことがいい」のではない、ということ。
面白くなくてもいいんです。
わけがわからなくてもいいんです。

そういったものを含めて受け入れるのがインプロです。

 

ポーズをとり終えたら、他のグループの人たちにテーマが何かを当ててもらいます

 

「運動会かな?」

「いや、球技大会じゃね?」
「でも二人向かい合って見つめ合ってるよ」
「あっ!結婚式!」

 

ってな感じです。

 

最後に、ポーズをとった人たちにインタビューをします。

「あなたは何ですか?」

と。それに対して

「私は花嫁です。」

と答えるわけです。
これで終了。

 


インプロの根底に感じるもの

 


インプロほど優しいワークショップを、いまだかつて経験したことがありません。

インプロのワークショップにある哲学として「Yes.And...」という考え方があります。

相手の考えを一旦受け入れ、そこに自分の考えをプラスしていく。

決して相手を否定しないこと。

こうした哲学が、インプロの根底にはあります。


自分の主張がどんな形であれ、その場に受け入れられるのです。

評価ではなく、承認で成り立つ場づくり。

そんなワークショップがインプロです。


自分はいつも、評価や正解や常識などに縛られてギスギスしている時、このインプロの環境に帰っていました。

そこで大事にしていたことを思い出すためです。

 

相手を受け止め、価値付せずに承認する。

毎回ここに戻る度、視野狭窄に陥って独善的な判断をしている自分をチューニングしています。


最近忙しくて参加できなくなりましたが、またインプロやりたいなあと、時々思います。
興味のある方、インプロで一緒に遊びませんか?

 

 

 

おわり

幸せに夢は必要か

こんばんは。

ロペスです。

 

 

加古川のメディアに出演するかもしれないということで、最近ダイエットを始めました。

まあうまく行った試しは無いのですが、とりあえず頑張ってみます。

 

自分もね、女性の前で「きゃー!!」とか言われたいわけですよ。

「あの素敵な人、どこの人!」とか騒いでほしいわけです。

「何しに来たんだろう!?お買い物かしら?」とか詮索もされたい。

 

今の状態だと、多分「ぎゃー!!」ってなる。

「何あの熊!!どこから降りてきたの!!」って騒ぎになる。

「何しに降りてきたの!?山の餌が足りないの!!」みたいな詮索される。

 

それは避けたいわけです。

ということで、ダイエット、始めます。

 

そんな決意を新たにしたところで、今回のお話。

「夢」についてです。

 

小さい頃の夢

 

小学校の頃、自分は将来の夢を見つけていた人でした。

 

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小学生の頃の私

 

FBIになりたかったです、はい。

まあ子どもの夢なんで、今考えれば現実味のない話です。

しかし、当時はなるためにどうすればいいのか、本気で考えていました。

日本で警察になって、いい成績とるとか、体鍛えて強くなるとか、そんなレベルのことしか頭に浮かばなかったです。

でもそれを頑張れば、本気でなれると信じていた無垢な時期でした。

 

今は別の夢を追いかけて、当時想像していた場所とは程遠いところに立っています。

後悔は全くありません。

しかし、今でも海外ドラマや映画などでFBIやCIAのエージェントを見ると、あの頃の心沸き立つような想いが蘇ります。

それはそれでいい思い出として、「幼かったなあ」という回想に浸り、幼少期を懐かしみます。

 

 

「夢」で引っ張るキャリア教育

 

「夢」には色んな力がありますよね。

目の前の勉強を頑張る力になったり、逆境を乗り越える力になったり、色々。

 

教育でもその力に着目し、子どもたちに主体的に勉強に取り組んでもらおうと、「夢」を使った様々な授業が行われています。

いわゆるキャリア教育というのもそうです。

 

実際に私は昔大学生だった頃、ある活動で、学校の子どもに夢を伝え、夢を引き出す目的の授業に参加したことがあります。

それはとても素晴らしい取り組みで、アツい夢を持った大学生たちが子どもと関わることで、あこがれを持ってもらったり、夢を持ってもらえるよう頑張っていました。

子どもたちもアツい大学生たちに感化され、頬を上気させながら夢を聞いたり、語ったり・・・。

このような場はとてもエネルギッシュで、夢を持っている人たちにとっては、とても心地の良い環境です。

 

ただ一部、そこでしんどい子どもがいたことに、自分は気づけていませんでした。

 

 

ネガポジ・メソッド

 

 キャリア教育で「夢」を扱う場合において、大抵夢を持っていることが良しとされます。

当然上記にあげた力があるので、持てるなら持っていたほうがいいと、私も思います。

 

ただ、持てない子もいるのも事実。

これは子どもに限らず、大人もそう。

余談ですが、ネットで一時期バズってた話があります。

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10代の頃の夢「社長」

20代の頃の夢「部長」

30代の頃の夢「課長」

40代の頃の夢「鳥」

ーーーーーーーーーーーーーーーー 

みたいな笑い話。

もうね、40代キツイですね。

鳥になって羽ばたきたいんでしょうね。

 

この話は置いておいて、大人も子どもも、辛く厳しい時代の中で、夢を持ちづらくなっているのが現状です。

経済不況、格差問題、紛争、色々大変な時代です。

 

「夢」で引っ張っていくのは、限界が来ているのではないか。

そう思い始めたのが去年くらいのこと。

自分自身しんどい時期で、「夢」を失い、自己啓発的なメッセージや綺麗事に辟易としていた時期でした。

 

その時出会った考え方がこちら。

www.lifehacker.jp

 

もう度肝抜かれましたね。

この方法があったかと。

 

やりたいことや夢なんて見つからなくても、やりたくないことなら山のようにある。

ならば消去法で、ボーダーラインを越えることをまず目的にする。

その中からやりたいことが出てくるかもしれない。

 

これは新しいし、ポジティブの押し付け感もない。

幸せに夢が絶対必要だと思っていた自分にとっては、大きな価値観の転換でした。

 

最悪でなければ、それでいい

 

 

最悪でなければそれでいい。

消極的かもしれませんが、その考え方は「夢を持ってそれを叶えなければ幸せになれない」と思い込んでいた自分をとても楽にしてくれました。

 

夢は素敵なもの。

それは確かです。

 

でもやりたいことや夢が中々持てなくても、人は幸せになれる。

生きていける。

 

そういう、ある程度ゆるさのある生き方も悪くないかなと、最近は考えています。

 

 

 

おわり

 

 

【教育座談会】「求められる能力」って、誰が求めてるの?ー岡村 優努×ロペス×片岡 利允

こんばんは。

ロペスです。

 

 

今日はちょっと専門的な内容を。

 

今朝、新学習指導要領を読んで友人たちと座談会を行いました。

参照URL

新学習指導要領(平成29年3月公示):文部科学省

 

学校で「何を」「何のために」教えるのか。

教える際にどのようなことに気を配れば良いか。

それが記されているのが学習指導要領です。

これには法的拘束力があり、最低限教えなければいけない「must」なものです。

 

教育に身を置くものとしては、目を通しておきたいものですが、正直読み込んでいる人はあまりいないのが現状。

なぜなら、別に学習指導要領を見なくても、それに基いてつくられている教科書に沿って授業を行えばそれで事足りるからです。

 

しかし教科書だけに頼らず、教材の段階からつくろうとしている者たちにとっては、日本の教育の方向性を知るための貴重な資料です。

ということで、興味を持ちそうな友人たちを集めて座談会を行うことにしました。

 

集まったのは3人。

以前このブログでも紹介した関西大学大学院の修士課程一年生の岡村 優努くん。

・インタビュー記事

ropeth0313.hatenablog.com

 

大学の後輩であり、奈良県の公立小学校教員の「とっくん」こと片岡 利允。

・彼のブログ

tokkun1225kotonakare570.hatenablog.com

 

そして私ロペス。

この3人です。

 

当初、学習指導要領についてはもう少し読む予定でした。

しかし、それぞれの想いや課題意識が溢れ出て議論が深まったので、結果的に良かったかなと。

本当に濃いメンバーで、よどみ無くテーマが出てきて、どんどん議論が進み、本当に楽しかったです。

 

 

そんな本日の座談会。

スパイスの効いた3人のカオスな鼎談、是非ご賞味下さい。

 

 

「求められる能力」って、誰が求めてる?

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まず最初に、改訂のポイントを3人で黙読。

 

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これを叩き台に

 

そして気になるところを挙げて、それについて議論をしていこうという話になりました。

黙読の後、岡村くんが

 

「この『子供たちに求められる資質・能力』って、誰が求めてるんですかね。」

 

と疑問を投げかけ、これが議題に。

とっくんは「なんやねんこれ」「どういうことやねん」と新学習指導要領にいろいろ思うところがあるみたいで、ブツブツ言いながら読んでいましたが、岡村くんの疑問に共感。

上記の疑問をそれぞれ考えていくことに。

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 片岡:ここに書かれている『求められる能力』って「社会全体が」求めてるって感じですね。

 

ロペス:うーん・・・社会全体が必要だと考える能力、それを持った子どもに育てるために国に雇われたのが教師だとすると、教師もそうなんじゃない?

 

岡村:公務員は全体の奉仕者ですから、そうですね。教師は子どもを教育することを通して社会に奉仕しています。ただ、そこで子どもも奉仕者にさせられていると思うんですよ。

 

片岡:それなんか・・・わかる、わかるわかる!!

 

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右の図が教師から子ども、子どもから社会への奉仕の流れ図。本来は左の図のイメージ。(とっくん作)

 

片岡:本来、教師は子どもも含めた社会全体に奉仕をするイメージ。でも実際は一部の偉い大人たちがつくる社会で、子どもが社会から切り離されている。そして教師は子どもを通して社会に奉仕をしている。

 

ロペス:一部の偉い大人がつくった社会から、教師を通して「こう育つべきだ」っていう押し付けがあって、子どもがそれに従う形で社会に奉仕させられているってことね。それについて岡村くんはどう思うの?

 

岡村:僕はしたくないですし、されたくないです。

 

ロペス:ハッキリ言うね(笑)

 

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岡村:この文章の「求められる能力」の中では、子どもの成長したい像が無視されています。一部の大人がつくっている社会を通して「教師」から一方的に押し付けられている。お互いに「人間」と「人間」なら対話によって交渉の余地があっても、「教師」と「子ども」となった瞬間、そこに権力関係が生まれるんです。子どもは教師に従うもの。そういう関係になったら子どもにconviviality(コンビビアリティ)が無くなってしまう。

 

ロペス:なるほど。人間同士の関係なら対等でも、肩書がついた途端そこに権力関係が生まれて、一方が一方に従わされるという状況に陥ってしまうってことね。確かに学習指導要領では子どもが育ちたい姿は考慮されていなくて、一部の大人が構成する社会や教師が権威を持って方向づけしてるよね。

 

岡村:学習指導要領なんで、学習する子どもが主役のはずなんですけどね。子どもの話は出てこないですね。

 

 ※conviviality(コンビビアリティ)

権限。その事柄に対して、意見を述べたり干渉したりする力。公共性があり、どちらか一方に属するものではなく、お互いが共有するもの。

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「ああいう子にこそタカラモノはいっぱいつまっているもんだ」

こんばんは。

ロペスです。

 

 

ライターになると決めてから一週間以上経ちました。

怒涛の一週間でした。

あっという間に過ぎたように感じます。

右も左もわからず、ひたすら関連書籍を読んで勉強し、バズったブログ記事を読み漁って、構成や表現方法を頭に叩き込んで、わけもわからず見よう見まねでこのブログに書きまくりました。

 

そんな中で、このブログに足を運んでくれる人が増え、

「良かったよ」

「あそこ行ってみたいと思った」

というコメントを頂けるようになり、その度に本当に涙が出そうになりました。

 

教育がしたかった

 

ただ、はじめからそのような気持ちがあったわけではありません。

自分は本当は教育がしたかった。

教育者として力を磨いて、教育がしたかったんです。

 

でもそれが出来ない。

ですので、ライターをはじめた時「なんでライターなんて・・・」という気持ちがありました。

 

自分は教育をやりにきたのだ。

なんで物書きなんて。

 

そんな気持ちを自分の中にぐっと押し込み、仕事をしました。

 

しかし、この一週間同僚や先輩と話したり、読者からのコメントを頂く度、自分は自分のしたいことができていることに気づきました。

 

 

「まだ誰も見つけていないヒト、モノ、コトの持っている『タカラモノ』を見つけて、捕まえて、拡散したい。」

 

 

この想いは教育でなくとも、ブログを書くという方法で実現できていました。

一週間で気づけたのは、このブログを書くのに関わってくれた仲間のおかげです。

本当に感謝しています。

 

「ああいう子にこそタカラモノはいっぱいつまってるもんだ」

 

自分が教員時代好んで読んでいた本に、灰谷健次郎の『兎の眼』というのがありました。

その中の登場人物の一人に足立先生という人物がいるんですが、私はこの先生が大好きです。

この先生は、学校の中で先生たちが手を焼いている子どもに対して、次のように言います。

 

「ああいう子にこそタカラモノはいっぱいつまっているもんだ」

 

他の先生たちがどうしようもないと賽を投げるくらいの子どもに対して、これを言うんです。

この姿勢に自分は感銘を受けました。

自分もそうなりたい。

真剣に思いました。

 

今は教育という領域から離れていますが、ライターとして、地域に眠っているまだ誰も見つけられていないたくさんの「タカラモノ」を見つけたい。

そして色んな人にその良さや面白さを伝えていきたい。

 

その為にも、もっと表現の技術を磨き、「タカラモノ」を探せる洞察力を磨き、皆さんにそれを伝えていけたらと思います。

 

このブログも毎日50名以上の読者がアクセスしてくれるようになりました。

これからもより良い記事を、たくさんの「タカラモノ」を皆さんに紹介できるよう頑張っていきます。

今後もよろしくお願いします。

 

 

おわり

 

 

 

 

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